ブラジルに永住して2013年3月に乳がんが発覚。当時39歳。現在40歳!ステージⅢ。1年後、肝臓、甲状腺に転移。
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ももたん

Author:ももたん
ブラジルの北部にあるベレンという町に2009年に永住しました。そして、2013年3月に乳がんが発覚!ステージⅢ。1年後、脳、肝臓、甲状腺に転移。現在治療中。日本とはまったく違う文化のブラジルでの治療を紹介します。どんな治療法?どんな生活なのか、ゆる~く紹介したいと思います。

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放射線治が終わって、1週間後抗がん剤治療が始まりました。

点滴のものと飲み薬。

点滴の副作用は髪の毛が抜ける程度で具合は悪くならなかったのですが

飲み薬を14日間6粒毎日飲まなくてはいけなくて、その薬がつらかったです。

飲み始めて5日後ぐらいから副作用でげりと熱が出ました。

下痢止めを飲んでもとまらない・・・。熱は薬で下げることはできましたが

こんな治療を続けていたらがんより他の病気になってしまうと思ったので

飲む抗がん剤はやめました。

それからは治療なしの生活になりました。

その1ヵ月後ぐらいから頭に埋め込んだドレーンの部分が痛み出しました。


年末、年始それに苦しみました。はじめは肝臓が痛いのかと思いましたが、
ドレーンの痛みだったようです。
その後、耳の後ろから(ちょうどドレーンの入っているところ)
が焼けたかんじになって化膿しました。

そこから髄液が出てきました。
で急遽1月に入院。

うみを出してもらったら少し痛みが消えました。
2日後ドレーンを取る手術。
すぐおわりました。10分もかかっていない。手術室で待った時間は30分。

その後の経過がよく10日で退院。
その後は調子がよかったです。

リハビリをしたかったのですが、風邪を引いたり、頭の痛いところが出てきたりで
3月になってもまともに歩けません。

がんより頭の治療のほうが大変です。
癌のことはすっかり忘れていました。

日本に行ったらしっかり治療をしていきたいです。
言葉が通じるし・・・・。

結局日本にいくまでどこも出かけられなかった・・・・。


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退院したのは10月31日。

退院してうれしかったのはおもいきり足を伸ばして寝られること。ベッドが小さかった。

そして、いつまででも寝られること。

入院中は夜の12時、朝の6時前とか薬、点滴、血圧・・・。

朝や夜以外でも掃除の人シーツを取替えに来る人、食事を届ける人、食事を取りに来る人

10時と3時にジュースを届けに来る人、水を取替えに来る人(飲み水)が毎日来ます。

そのたびにドアをバンバン!!おもいきり開けたり、閉めたりします。

そのほかに、担当の先生、リハビリの先生、問診の先生が突然きます。様子を見に日系の先生。

シャワーに入ったら先生が来た!とか、1日の時間調整が大変でした。

退院しても、ぜんぜん歩けず、寝る部屋に食事を運んでもらったりして、入院生活とまったく同じでした。

しばらく歩いていないと足の裏まで筋肉が衰えているんだ・・・・と実感。

歩くたびに足の裏が痛かったです。

で、退院して1週間後頭の放射線治療に行くのでした。



アマゾニア病院は日系の病院なので食事がブラジル食と日本食が選べます。

入院したときは吐き気がひどくて食べ物は果物ぐらいでそのほかは食べられませんでした。

手術後は10日間お茶、水、やしのみジュースでした。そのあとはスープです。

日本だったらそのあとおかゆ五分がゆとかですよね。でも、そのあと突然のブラジル食・・・。

ちょうどお見舞いに来ていたAさんが即、調理室に電話・・・・・。

次からおかゆ、うどんやそうめんなど日本食が出てきました。

だいぶ食べられたころ、普通のご飯にしてもらいました。その間にもいろいろ差し入れをしてくれたのでおいしいものが食べられました。

頭の手術が長引いたので水を飲むのも飲ませてもらったりと手厚い看護を受けた入院生活でした。

ブラジルの入院は付き添いがいないと無理ですね・・・・。(自分で動けたらいいですけど・・・)

入院中は本当にお世話になりました。

この後も、病人生活は続くのでした。。。、
で、次に髄液を止める方法として

もう一回傷口を開いて脳のフイルムを接着剤のようなものでくっつけるということでした。

もう一度手術かぁ。とがっかりしてもしょうがない。

それでなおるなら・・・。

ちょうどシリオの時期でマリアさんにお祈りしました。

手術は2時間半で終わりました。

以前の手術よりは体調はよく手術後、おかゆも食べられたし、

一人でトイレも行けました。傷口は痛いけど。

ちょうど頭の後ろ、首までなので普通に寝てると痛かったです。

その日の夜、「あれ?」と首から髄液漏れ・・・・・・。

手術失敗・・・・・。このときは付き添いのRちゃん、チアゴとがっかりしました。

次の日先生が来て失敗したことを知り、先生もがっかり。

去年まで抗がん剤を受けて体が弱っているからと何回もいっていました。

もうどうしたらいいのかわからず、ボーっと何も考えられませんでした。

がんの先生には、早く抗がん剤や頭の放射線をしなきゃいけないのに何してるの!

といわれるし・・・・。

私も早く退院したいよ!!!!

で、次は頭に穴を開け袋をつけ10日間自然にフイルムが浮くのを待つ。



頭の中に管を入れるか・・・。(あかちゃんの水痘症のような感じ)

10日間治療して治らなかったら管を入れるといったので、

早く治したいから、はじめから管を入れるほうにしました。

それもまた手術・・・。頭からおなかにかけて管を入れます。3時間ぐらい・・・・。

もう3回目・・・。さすがに怖くなっちゃって、前の日チアゴの前で泣いてしまいました。

チアゴは私が入院してから毎日ないていました。

でも、いろいろ心が強くなったようで、逆に励まされました。

初めて励まされたかも。いつも私は「大丈夫」といっていたからかな?

で安心して?!手術を受けました。

で、手術は無事終わりました。頭にコルセットみたいのを巻いていてびっくりしました。

でも、もう髄液漏れはなくなり一安心ですが、そのあと、おなかにまで通っている管が原因なのか

しばらくおなかがいたいのが続きました。今も時々痛いです。

原因がわかりません・・・・。

術後も安定して、早く退院したかったので入院して1ヵ月半の10月31日にやっと退院しました。

長い入院生活でした。そして、24時間付き添いをしてくださった友人、チアゴに感謝します。

退院してきた夜、チアゴとイアンと3人で寝られることがすごく幸せでした。

このうれしさは絶対忘れないです。

次回は入院の食事について・・・・・。
私の頭の腫瘍は右のうしろのしたのほうにありました。

手術の傷はあたまの後ろの真ん中を15センチぐらいでした。

その傷口の下のほうから、点滴を入れた分ぐらいの量が出てきました。

少しの間は止まるけどすぐガーゼに染み出してきてずっとぬれていて肌がかゆくなりました。

脳の先生は背中にカテーテルを入れて髄液を取りましょう。

といって次の日、カテーテルを入れました。

カテーテルは細く、入れるときは背中に麻酔を入れたけどそんなに痛くなかったです。

先生に大丈夫?歩ける?と聞いたら、ご飯もトイレもシャワーもリハビリも大丈夫だよといわれたので

安心しているとカテーテルを入れて4時間後ぐらいから頭に激痛がはしり、めまい吐き気がして

前より動けなくなりました。で、トイレには何とか行けてシャワーはできませんでした。

薬を飲んでも聞かず、カテーテルを抜く3日間激痛に苦しみました。

お医者さんの話と違う!!!!!

とまた、怒りがこみ上げるのでした。
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